第20回 九州在住 ハイビスカスさん

できないことを嘆くのではなく、今できることを楽しんで生活したい。諦める必要があることなど何もありません。

できないことを嘆くのではなく、
今できることを楽しんで生活したい。
諦める必要があることなど何もありません。

フラダンスにお菓子づくり、パソコン教室通いと、毎日を楽しみながら生き生きと生活しているハイビスカスさん。約30年前に多発性嚢胞腎(ADPKD)と診断され、1人で悩む長い歳月を経て、信頼できる医師と出会えたことで前向きな自分になれました。

フラダンスにお菓子づくり、パソコン教室通いと、毎日を楽しみながら生き生きと生活しているハイビスカスさん。約30年前に多発性嚢胞腎(ADPKD)と診断され、1人で悩む長い歳月を経て、信頼できる医師と出会えたことで前向きな自分になれました。

情報収集もままならず、不安の中で毎日を過ごした 情報収集もままならず、不安の中で毎日を過ごした

ハイビスカスさんが自身のADPKDを知ったのは今から30年ほど前のことでした。お父さまが腎不全で救急搬送され、透析を余儀なくされたことがきっかけだったそうです。
「優しくて大好きな父がそんなことになって、私の腎臓を1つあげてもよいと思いました。そこで、私も検査してみたところADPKDと診断されました。当時私はまだ30代で、子育てに忙しい時期でした。まさか自分の腎臓に何かあるとは思ってもいなかったので、とてもショックを受けました」。
しかし心配をかけまいと、両親にはハイビスカスさん自身の病状についてはいっさい話さなかったそうです。その後、クレアチニン値や血圧の上昇といった症状は現れていなかったものの、年に1度、検診のために病院を訪れるたびに気分が落ち込んでいたというハイビスカスさん。かかりつけの先生からは病気に関する説明は充分ではなく、当時はインターネットも普及していなくて情報収集もままならず、購入した専門書も難解で不安な毎日を過ごしていました。
「夫にだけはADPKDのことを伝えていました。あまり感情を表に出す人ではないので、一緒になって不安がる様子を見せることもなく、心配性の私の話を落ち着いて聞いてくれていたのが救いでしたね」。

独学で勉強し、料理は薄味を徹底し、疲労をためないよう、風邪をひかないよう注意しながら腎臓に負担をかけない生活を心掛けていたハイビスカスさん。しかし、自身の体のことよりも心配だったのがお子さんのことでした。
「ADPKDは遺伝性の疾患と知らされ、息子と娘に遺伝しているかもしれないと考えると気が気ではありませんでした。子どもたちの食事も薄味を心掛け、インスタント食品は極力使わないようにしました。膀胱炎にならないように、風邪をひかせないようにと、そればかり考えていたように思います。また、トイレに行ったときにはおしっこの色などを必ずチェックするようにと口うるさく言っていました。自分の体調の変化に敏感でいてくれれば、いざというときに素早く対処できますからね」。

お子さんたちは大学進学を機に一人暮らしを始め、現在、息子さんは他県に就職しています。環境の変化に伴い、体重がかなり増えてしまいました。このままでは生活習慣病を発症し、腎臓の機能を悪くするのではないかと、ハイビスカスさんはとても心配だったそうです。
それでも、長い間お子さんにはADPKDについて伝えることができなかったとハイビスカスさんは言います。約30年前、自身が感じたショックを子どもたちも味わうのかと考えると、どうしても躊躇してしまったそうです。
「けれどもつい先日、意を決して一人暮らしの息子にだけ、私がADPKDであること、そしてそれが遺伝性の疾患であることを伝えました。彼は何か考え込むようにして話を聞いてくれました。私がいつも減塩や水分を十分に摂るように言っていたことが分かったようでした。また、私が最近、たんぱく調整米を食べていることから、多分腎臓が悪いのだろうと思っていたそうです。『ショックだよね』の問いに対して『別に』と返答した言葉は、私を気遣っているように聞こえました。息子とおいおい話していって、私なりに助言していければと思っています。今知った方が良かったのか、もう少し先の方が良かったのか考えさせられるところではあります」。
しかし、ハイビスカスさんは自身がADPKDを知った頃と比べて大きく変わっていることがあると言います。それは治療法が登場しているということです。

信頼できる医師と出会い、病気に対して前向きになれた 信頼できる医師と出会い、病気に対して前向きになれた

ハイビスカスさんは共に疾患と向き合ってくれる信頼できる医師と出会い、3年前からADPKDの治療を開始しています。
「今の主治医に出会った日、『全員が透析になるわけではありません。医学も進歩しているので1人でそんなに悩まないで』と言っていただきました。そうした言葉をかけられたことがなかったので、本当にほっとして前向きになれた気がします。ADPKDの市民講座があることも知り、患者会にも入っていろいろ知ることができるようになりました」。
実は昨年、ハイビスカスさんはご主人を亡くしました。そのときも主治医の先生が親身になって寄り添ってくれたそうです。息子さんにADPKDについて話をしたときも、透析を待つだけの病気ではなくなっていることや進行を遅らせる治療が進歩していることなど、主治医から伝えられたのと同じように話したそうです。
「私がかつて受け止めたときの感覚よりも違った形で伝えられたかもしれませんね」
とハイビスカスさんは振り返ります。

現在、ハイビスカスさんはさまざまなことに挑戦しています。例えば、減塩や低タンパクなど食事の工夫に余念がないことから、腎臓に優しいお菓子について学ぶため、お菓子づくりの教室にも通い始めています。
「パソコンでの年賀状作成やスマートフォンの設定など主人が全てやってくれていたので、これからは自分でやらなくてはいけないと、一念発起してパソコン教室にも通う予定です」。
長い間、誰にも話すことのできなかったADPKDについても、治療を始めた3年前、20年来の付き合いのママ友に打ち明けたそうです。しかし、皆さんハイビスカスさんのありのままを受け入れてくれ、レストランなどで行っていたランチ会は自宅で行おうと提案してくれたそうです。

「『薄味で素材を生かしたお惣菜やお弁当を購入して自宅に持ち寄れば、食事制限を気にすることなく楽しめるでしょう』と言ってくれたのです。とても良いお友だちに恵まれました」。
現在の夢を尋ねると、ハワイに行くことだと教えてくれたハイビスカスさん。健康のために始めたフラダンスは約10年になります。時々、ボランティアで介護施設や市民センターで踊ります。気の合う仲間が増えて、毎週1回教室に通うことを楽しみにしています。
「私は乗り物酔いがひどく、新婚旅行でヨーロッパに行って以降、飛行機には乗ったことがありません。しかし今は、フラダンスの仲間たちと本場のハワイに行ってみようかと話をしているところです。今を楽しみながら、臆することなくいろいろなことに挑戦していきたいですね」。

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

ADPKDと診断されたとき、私は頭の中が真っ白になるほどショックを受けました。しかし、それから月日が流れ、医学は進歩して新しい治療も登場しています。だから、できないことを嘆くのではなく、今できることを楽しんで生活してほしいと思います。諦める必要があることなど何もありません。私も自分にそう言い聞かせながら、希望を持って毎日を過ごしています。

ADPKDと診断されたとき、私は頭の中が真っ白になるほどショックを受けました。しかし、それから月日が流れ、医学は進歩して新しい治療も登場しています。だから、できないことを嘆くのではなく、今できることを楽しんで生活してほしいと思います。諦める必要があることなど何もありません。私も自分にそう言い聞かせながら、希望を持って毎日を過ごしています。

2018年11月作成
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