第24回 東京都在住 Bさん

できないことを探して深刻になるよりも、できることをとことん楽しんで生きたいと思えるようになりました。

できないことを探して深刻になるよりも、
できることをとことん楽しんで生きたいと
思えるようになりました。

20年前に多発性のう胞腎(ADPKD)の診断を受けたBさん。その頃お父様はすでに透析治療を受けていましたが、対策を講じながら旅行を楽しんでいたそうです。そうした姿を見てきたBさん自身も必要以上に悲観的になることなく、できることをとことん楽しみたいというマインドが育ったと話します。

20年前に多発性のう胞腎(ADPKD)の診断を受けたBさん。その頃お父様はすでに透析治療を受けていましたが、対策を講じながら旅行を楽しんでいたそうです。そうした姿を見てきたBさん自身も必要以上に悲観的になることなく、できることをとことん楽しみたいというマインドが育ったと話します。

透析治療を受けていた父には自分の疾患を話すことができなかった 透析治療を受けていた父には自分の疾患を話すことができなかった

武藤先生

私が担当するADPKDの患者さんの中でも、Bさんは最も病気とうまく付き合っている患者さんです。最初に診断を受けたのは、もう20年も前のことだそうですね。

Bさん

30歳を過ぎ、会社の健康診断で腹部エコーを受けることになり、そのときに偶然腎臓にのう胞が見つかりました。自分の腎臓にそんな疾患があると思ってもいなかったので、とても驚いたことを覚えています。実は当時、50代だった父が透析治療を受けていました。とはいえ、とくに詳しい疾患名は知らなかったし、父も自分の病気について娘に詳しく話すということもありませんでした。ただ、母が時々、「あなたは健康診断で腎臓の値が悪いと言われることはない?」と尋ねてくることがありました。今思えば、ADPKDについて心配していたのだと思います。

武藤先生

当時はおそらく、ご両親共に疾患に関する情報を現在ほど詳しく知ることはできなかったと思います。日本でADPKDがはっきり認識されたのがちょうどこの頃で、疾患名も定まってはいませんでした。それだけに、お母様が娘のBさんを心配して尋ねていらしたのはいろいろと勉強していた証拠です。すごいことですよ。

Bさん

健康診断の後で近所の大学病院で再検査を受け、ADPKDであることを告げられました。私も父の体質を受け継いで腎臓が弱くなりやすいかもという程度の認識だったので、遺伝性の疾患ということを聞いたときはショックでした。だからこそ、これを両親に話せば私よりもショックを受けて心配すると思い、最期まで話せずじまいでした。その分、夫には包み隠さず不安な気持ちも全て話して、ずいぶん支えてもらいました。彼はインターネットや文献などを片っ端から調べて、当時良いとされていた食材やサプリメントなどをたくさん勧めてくれました。嫌というほど健康的な食事をさせられていましたね。

武藤先生

健康的な食事は疾患に関わらず悪いことはありません。大学病院で診断を受けた後は、割とすぐに私が籍を置いていた大学病院の泌尿器科を訪ねてこられましたね。

Bさん

診断を受けた大学病院の先生は、「自分は専門ではないから」と仰って、帝京大学医学部附属病院を紹介していただきました。それからしばらく、経過観察のために月に1度先生のもとで検査を受けていました。その頃は血圧も正常値の範囲内で降圧剤の服用もしておらず、どこかが痛いとか苦しいとか、体調にも何の変化もなかったため、ADPKDと診断されたとはいえ不思議な感覚でした。それでも、父が透析治療を受けている姿を見てきたし、治療法がないというこの疾患に対して不安は拭い切れませんでした。

疾患を前向きにとらえることで人生が楽しくなり将来の目標もできた 疾患を前向きにとらえることで人生が楽しくなり将来の目標もできた

武藤先生

Bさんは治療薬の治験のごく初期の段階から参加されましたね。

Bさん

治療法がなかったこの疾患に治療薬ができるかもしれないということは、私たち患者にとって大変なできごとです。先生からそのお話を聞いて、すぐに治験に参加したいとお伝えしました。副作用に関する詳細も聞いていましたが、それに対する不安以上に、できることなら治療したいという思いが強かったですね。月に1度の受診と体調管理しかできることがなかった頃と比べたら、今の状況は私にとって大きな支えであり、希望となっています。

武藤先生

体調の変化などはいかがですか。以前と比べて疲れやすくなったとか、何か不安なことはありませんか。

Bさん

私の場合、昔も今も体調には何も不快なことはありません。できるだけ塩分を摂りすぎないように注意していますが、それ以外では食事に制限を加えることもしていません。お酒も適度に楽しんでいます。これは先生のご指導によるもので、むしろ年齢を重ねていけば体力勝負になることもあるので、何でもバランスよく食べなさいと言ってくださいます。運動についてもやりたいことはやってよいとも仰っていただきました。一度、「相撲取りのような激しい稽古をするわけではないだろうし、やりたいスポーツがあればチャレンジしてよいですよ」と言われたときには笑ってしまいました。

武藤先生

ADPKDは短期間で完治するという疾患ではなく、一生付き合ってかなければなりません。だからこそ私は、患者さんにストレスが溜まることが一番悪いと考えています。治療も含めてじっくりと長く向き合っていくためには、生活の中で無理をして節制することは逆効果になると思います。

Bさん

私も今、やりたいことをやって人生を楽しんでいます。歴史と美術と旅行が大好きで、西国三十三所巡礼の旅に出掛けたり、古墳のある場所を訪ねたり、歌舞伎や能を観に行ったりしています。能に関しては、謡と呼ばれる声楽にあたる部分の習い事をしており、いつか能の舞台に立つのが目標です。

武藤先生

それはすごいですね。疾患と向き合いながら毎日の生活を楽しみ、さまざまなことにチャレンジできる原動力は何でしょうか。

Bさん

私の父も旅行が好きで、透析治療を受けながら日本全国さまざまな場所に出掛けていました。そのことを考えると、透析にも至っていない私が旅行ぐらいできないはずはないと感じています。これからも、いろいろなことを楽しみながら生活していきたいですね。5年ほど前には1週間ほどインドを旅行しました。海外旅行にも積極的に出掛けたいと思っています。

武藤先生

Bさんのように前向きに疾患を捉えることが、日々の生活をいかに豊かにするかを教えられた気がします。人生を楽しむ目標を持つことの大切さと、ADPKDはその妨げにはならないということを多くの患者さんに知ってほしいですね。

ADPKDと診断された患者さんへのメッセージ

患者さん個々によって疾患の程度も進み方も異なり、私は単にラッキーだったから日々疾患に気を取られることなく生活できているのかもしれません。それでも、治療法がなかった父の時代と比べると環境は大きく好転しているはずです。この先、もしも私の症状が悪化するような事態になっても、その頃にはまた新しい治療法が生まれているかもしれません。だから、できないことを探して深刻になるよりも、今できることを楽しんで生きる方が良いと私は思っています。これからも目標を持って、やりたいことにチャレンジしていきたいですね。

患者さん個々によって疾患の程度も進み方も異なり、私は単にラッキーだったから日々疾患に気を取られることなく生活できているのかもしれません。それでも、治療法がなかった父の時代と比べると環境は大きく好転しているはずです。この先、もしも私の症状が悪化するような事態になっても、その頃にはまた新しい治療法が生まれているかもしれません。だから、できないことを探して深刻になるよりも、今できることを楽しんで生きる方が良いと私は思っています。これからも目標を持って、やりたいことにチャレンジしていきたいですね。

2021年10月作成
SS2110448