第13回 神奈川県在住Aさん

「休み休みでもよい」という先生の言葉があったからもう一度治療に向き合おうと思えました。

「休み休みでもよい」という先生の言葉があったから
もう一度治療に向き合おうと思えました。

3年前からサムスカの服用を続けている、多忙な商社マンであるAさん。実は服用を開始した当初は尿量の多さに苦労させられ、一時は治療を断念しようと思ったほどだと言います。現在もバリバリと働くAさんは、どのようにして治療に慣れていったのでしょうか。

3年前からサムスカの服用を続けている、多忙な商社マンであるAさん。実は服用を開始した当初は尿量の多さに苦労させられ、一時は治療を断念しようと思ったほどだと言います。現在もバリバリと働くAさんは、どのようにして治療に慣れていったのでしょうか。

Aさんの代表的な一日

「服用は無理だよ、先生。仕事にならないよ」

望月先生

Aさんを最初に診察させていただいたのは、Aさんが仕事で6年間の海外勤務を終えた翌年の2012年でした。当時はクレアチニン値も0.98mg/dLと基準値内で、サムスカの適応にはなっていない頃でしたね。

Aさん

帰国後に東京勤務になるにあたり、産業医の先生が望月先生を紹介してくれたのです。私も東京ならどこの先生に診ていただくのがよいかを調べていて、東京女子医科大学の望月先生が多発性のう胞腎(ADPKD)に積極的に取り組んでいらっしゃることをネットなどで検索できていたので、迷わず診ていただくことにしました。

望月先生

最初の診察から半年後ぐらいより、MRIで腎容積の増大速度を調べる治験に参加していただきましたね。それまでは年間1.6%程度の増大に留まっていたものが、2015年の終わり頃に年9%まで上がったことが分かり、私の方からサムスカでの治療についてお話しさせていただきました。

Aさん

私はサムスカという薬があること自体は認識していたものの、自分が服用するというイメージができていませんでした。しかし、腎容積の増大が加速してきたことや望月先生に勧めていただいたことで始めてみようと思いました。もちろん、尿量の増加などについては知っていましたが、実際に始めてみると予想していた以上に大変でしたね。私は外勤が非常に多いこと、長時間の会議や打ち合わせがあること、海外出張もあることなどから服用を一時は断念しようと思ったほどです。

望月先生

サムスカに対する反応の強さは人それぞれで、 尿量が増えるとひと言で言っても、トイレは2時間に1回程度の人もいれば、1時間に1回は必ず行くという人もいます。Aさんの場合はとくに反応が強く出たようで、しかも仕事の形態とも相まって非常に苦労されましたね。

Aさん

サムスカ導入のための入院の時点で無理だと感じていました。飲水量は1日に13リットルに上り、夜間でも1時間ごとに起きてトイレに行かなければなりませんでした。退院してわずか1週間で再受診をお願いし、望月先生に継続するのは無理だということをお伝えしました。

望月先生

私も当時のことは印象に残っています。「服用は無理だよ、先生。仕事にならないよ」とおっしゃっていました。そこで、「用量を減らして、朝半錠だけ飲んでみませんか」と提案させていただきました。

Aさん

商談は2時間、3時間とかかることもあったため、トイレのために1時間おきに席を立つのははばかられます。また、電車での移動も多かったので、もし事故などでストップして閉じ込められたらトイレに行けないという不安もありました。薬を服用するからといって仕事を辞めるわけにはいきません。しかし、薬を諦めたら治療に希望が見いだせません。そのように思い悩んでいたため、先生が用量を少なくする方法を提案してくださったときには、とてもほっとしたことを覚えています。無理のない形でもう一度服用してみようと思うことができました。

自分の体のリズムが分かり、仕事への支障もなくなった

望月先生

低用量で3カ月ほど続けていただくと、尿量なども落ち着いてこられましたね。少し増量することを提案しました。しかし増量しても低用量の頃と尿量などは変わりませんでした。そこでまた少し増量して……という形で適正な量まで増やしていきました。現在は最大用量を服用されています。

Aさん

正直、望月先生に相談した時に、「最初はみんなそうだから頑張って続けなさい」などと言われていたら服用は断念していたと思います。自宅にずっといられるとか、いつでもトイレに行ける仕事なら分かりませんが、私の場合はそれができにくい仕事だったので心が折れかかっていました。しかし、先生が「無理だと思った時には服用をお休みしてください」とまで言ってくださった。「休み休みでもいいんだ」と思った瞬間に、気が楽になったのです。

望月先生

その後は飲水もしっかりとできていて、薬の効果も出ているようですね。仕事への支障はなくなりましたか。

Aさん

望月先生にご相談しながら、出張や会議でどうしても難しい時には服用を休みました。一方、休日の土日を利用し用量の範囲内で増量の練習もしました。そうした工夫をしながらサムスカと付き合っていくうちに体が慣れ、服用して2時間後に最もトイレに行きたくなるなど体のリズムが分かり、尿量にも対応できるようになっていきました。大切な商談があるときには服用の時間をずらすなど自分でコントロールできるようになり、今では仕事にも支障なく服用が続けられています。

望月先生

サムスカを服用する患者さんにはさまざまな仕事の方がおられ、飲食店勤務でランチとディナーの時間だけ大変だとか、小さなお子さんがいるので夕飯の支度前後が一番忙しいなど、それぞれに異なります。医師に話していただければ、患者さんと相談しながら一番良い服用の仕方を考えていくことができます。そして、それがまた別の患者さんの参考になるため、私にとっても勉強の毎日です。Aさんのように自分で考えて提案してくれる患者さんは頼もしい限りです。

Aさん

服用を始めて3年でコツも分かってきましたが、やはり仕事が忙しい時には服用を忘れてしまうこともあります。これを防止するために、私は常にスーツのポケットにサムスカを入れておくようにしています。そうすれば社内を歩いているとき、または外出先などでポケットに触れてサムスカの存在を思い出し、服用することができます。

望月先生

素晴らしいですね。しかしADPKDの場合、自覚症状があまりない段階でサムスカの服用を続けることになります。ストレスにはなりませんか。服用を続けられるモチベーションはどのようなことでしょうか。

Aさん

正直に言って、痛みなどの症状がないのに薬を服用しなければならないことはストレスになります。しかし、私の場合は母がADPKDで40代で透析に至り、60代で亡くなっています。実は母の兄、そして母の母も腎臓を患って早くに亡くなりました。そのため、私も人より早く死んでしまうものと長い間思ってきました。しかし、母たちの時代にはなかったサムスカという治療法が登場しています。これは希望になります。予想よりもう少し長く生きられるのかなと思わせてくれます。私には子どもがおり、検査はまだ受けさせていませんが、子どもたちの世代には最初からサムスカがあります。もしかしたら新たな治療法が生まれるかもしれないという期待も抱かせてくれます。

望月先生

最後に、患者さんのお立場からADPKDの治療に期待することを聞かせてください。

Aさん

私は海外駐在で働いてきましたが、サムスカを服用するに当たり、海外生活は難しいと断念しました。望月先生にも、海外でも保険制度でサムスカが使えるかなどいろいろと相談に乗っていただきましたが、ハードルが高かったですね。患者の率直な意見としては海外でも服用が容易で、さらに言えばもっと安くなってくれるに越したことはありません。

望月先生

ADPKD、そしてサムスカとの付き合いは長期にわたるので、Aさんのおっしゃることはもっともだと思います。

Aさん

それでも、望月先生にいろいろと相談に乗っていただいたことは本当にありがたかったですね。おかげで今も病気や治療、そして自分の仕事ともしっかりと向き合いながらやりたいことをやっていられています。

望月先生

ADPKDもサムスカも、何十年も先の患者さんの人生がどうなっていくかを見極めながら付き合っていかなければならないものだと私は思っています。ADPKD治療の主体は医師でなく患者さんであって、私たち医師は患者さんのサポーターです。ですから、Aさんのようにご自身の希望や悩みをどんどん話していただくことでできることが増えてきます。今後も、何でも相談してください。一緒に頑張っていきましょう。

〜取材を終えて〜望月俊雄先生

Aさんは海外を舞台に働いてこられたお仕事柄か、病気や治療についても考えや提案をどんどん話してくださる、非常に積極的な患者さんです。だから私もAさんを信頼して一緒に最善の治療を考えていけます。サムスカの服用もしっかりと続けておられ、結果もついてきています。「もう服用できない」と言っていた最初の頃がうそのようで、私もサポートできてよかったと思っています。どうか今のまま変わることのないAさんでいてください。

2023年7月作成
SS2306056