第4回 東京都在住Nさん

将来、腎容積の増大によりお腹が膨らむかもしれないという事実は、女性である私にとって大きなストレスでした。だから、主治医からサムスカによる治療の話を聞いたとき、それを防げる可能性があるのなら迷わず試してみようと思ったんです。

将来、腎容積の増大によりお腹が膨らむかもしれないという事実は、女性である私にとって大きなストレスでした。だから、主治医からサムスカによる治療の話を聞いたとき、それを防げる可能性があるのなら迷わず試してみようと思ったんです。

Nさんはサムスカの服用に不安もありましたが、冷静な自己管理と事前の対策によって日常生活に大きな支障もなく服用を続けています。臨床心理士として企業のカウンセラーを務める多忙な日々を送りながら、趣味の旅行も楽しみ、気負わず多発性嚢胞腎(ADPKD)と向き合っています。

Nさんはサムスカの服用に不安もありましたが、冷静な自己管理と事前の対策によって日常生活に大きな支障もなく服用を続けています。臨床心理士として企業のカウンセラーを務める多忙な日々を送りながら、趣味の旅行も楽しみ、気負わず多発性嚢胞腎(ADPKD)と向き合っています。

Nさんの代表的な一日

Q どのような経緯で、いつごろADPKDであることを知りましたか?Q どのような経緯で、いつごろADPKDであることを知りましたか?

小学校低学年の頃、医師である父から診察室に呼ばれ、「ちょっとお腹の様子を見てみよう」とエコー検査をしました。そして、私の腎臓の画像を見ながら、「小さい嚢胞があるね」と説明をしてもらいました。父もADPKDであり、また父方の祖母もそうだったようです。私が小学校に入学した頃に祖母の腎臓の状態が悪くなったこともあり、父はこのタイミングでわが子の遺伝についてもしっかりと調べ、ありのままを伝えようと考えたのでしょう。私はまだ子どもでしたので、それがどのような病気なのか正しく理解することはできませんでしたが、ADPKDという病気があり、自分がそうであること、そして父と祖母も同じ病気であることを教えられ、事実を自然に受け止めたように記憶しています。

Q ADPKDと診断された後の生活はどのようなものだったのでしょうか?Q ADPKDと診断された後の生活はどのようなものだったのでしょうか?

子どもの頃は、「腎臓の負担になるので疲れすぎることをしてはいけない」と言われて育ちました。しかし、中学校ではソフトテニス部に所属し、親元を離れて大学に通うようになってからは、よさこいソーランのサークルに入り、祭りに参加して演舞するなど活発に過ごしていました。
その一方で、実家にいる間は父の診療所で4〜5年ごとにエコー検査を受け、1人暮らしを始めてからは大学近くの腎臓内科で1年に1回は検査を受けて経過を見るという状況でした。27歳の頃から疲れがたまると血圧がやや高めに推移することがあり、経過を見ていました。30歳頃から高血圧の薬物治療を始めましたが、それ以外では検査の数値にも体調にも異常はありませんでした。

Q サムスカの服用に至った経緯をお聞かせください。Q サムスカの服用に至った経緯をお聞かせください。

主治医からサムスカによる治療の話を聞いたのは、2014年の末ぐらいだったと思います。それ以前から治験の話はうかがっていましたが、服用できるようになるのはまだまだ先だと思っていたのでうれしかったですね。当時、私の腎機能自体は悪くなかったものの、腎容積はサムスカ服用の適応となるレベルにまで大きくなっていました。また、定期的に検査を受けており、腎容積増大速度も推定できたため、主治医から「今が始めるタイミング」とアドバイスをしていただきました。
副作用についても丁寧に説明してもらいましたが、私の中では“サムスカを飲まない”という選択肢はありませんでした。もちろん、人工透析を避けたいという思いはありました。しかしそれ以上に、無治療のままで腎容積が増大し、お腹がぽっこりと膨らんでいくことが心配だったのです。やはり女性としては、腎機能の低下と同じぐらいに気持ちが重くなります。それを防げる可能性があるならばと、サムスカの服薬を始めることにしました。
治療を始めるかどうかは、最終的には自分が決めることです。そういう意味で、私は主治医からサムスカの正しい情報と、適切で親身なアドバイスをいただけたことをありがたく思っています。

Q 治療を始めた頃のことについてお聞かせください。Q 治療を始めた頃のことについてお聞かせください。

2015年の3月に入院してサムスカの服用を開始しました。実は、サムスカを使うことに迷いはなかったものの、1日に10Lもの水を飲み、10L近く排出するといった生活の想像がつかず、入院前までは不安がとても大きかったですね。私は臨床心理士として企業の産業保健部門でカウンセラーを務めているため、副作用によって心身の状態が安定せずにクライエントの話を集中して聞くことができなくなるのではないかという不安もありました。夜眠れなくなるのではないかと心配し、最終的には仕事を辞めなければならなくなるのではないかとも考えました。いままでの生活を失うかもしれない怖さで、非常にナーバスになったことを覚えています。しかし、実際に試してみて、薬による体の変化を自分自身でしっかりと観察しなければ何も分からないと自分を励ましながら、入院生活の初日を迎えました。

Q 実際にサムスカを服用してどのように感じられましたか? Q 実際にサムスカを服用してどのように感じられましたか?

入院初日はやはり排尿が頻繁だなと感じましたが、服薬スタート以降にトイレと飲水時間をノートに付けながら過ごしてみると、服薬の影響がどのように経過していくのかがよく分かりました。トイレはピークの時間帯でも1時間に1回程度でしたし、それが1日中続くわけではありませんでした。脱水が怖いのでトイレの後に必ず水を飲むようにすれば、喉の渇きもそれほど苦しくないことが分かりました。トイレや飲水のタイミングがつかめてくると、1日の過ごし方も想像できるようになり、安心できました。当時のノートを読み返すと、2日目のページに「10時か11時以降ならば、1時間の会議やカウンセリングも問題なさそう」と書き留めてあります。

Q 現在の生活についてお聞かせください。お薬の服用など日常生活で特に注意されていることはありますか?Q 現在の生活についてお聞かせください。お薬の服用など日常生活で特に注意されていることはありますか?

私の場合、サムスカ服用から3〜4時間頃にトイレと喉の渇きのピークがくることが分かったので、この間だけ気を付ければほとんど仕事に支障はありません。そのため、服用時間は朝の6時と夕方5時頃と決めています。現在も仕事は続けており、全国の支社を訪問して社員の方のカウンセリングにあたっています。地方出張が多く、新幹線や飛行機での移動も頻繁ですが、服用時間を微調整してトイレのピークの時間帯での移動を避け、行ける時にトイレに行っておき、飲める時に水分を摂っておくなど先回りして対応することで、不便が生じることはありません。

Q 水分摂取の点で特に注意されていることはありますか?Q 水分摂取の点で特に注意されていることはありますか?

朝食にはスープを中心としたメニューを用意し、水やお茶と合わせて出勤前に1〜1.5Lの水分を摂取しています。会社では、直属の上司にサムスカ服用について伝え、大きめのポット型浄水器を置かせてもらって水分補給をしています。現在は関東をメインに仕事をしており、外出中でも周りを見渡せば飲料水の自動販売機やトイレがすぐに見つけられるために不安はありません。ただし、地方出張の際は、東京の感覚でいると自動販売機がなかなか見つからないこともあるので、あらかじめ飲み水の確保をしておくように気を付けています。

Q その他、治療を続けていくにあたって日常生活で心掛けていることがあればお教えください。Q その他、治療を続けていくにあたって日常生活で心掛けていることがあればお教えください。

生活面で特別に気を付けていることや制限していることはないですね。会社や友人との付き合いで、お酒の席に参加することも少なくありません。アルコールは利尿作用があり脱水に気を付けなくてはなりませんが、ビールを飲む時でも必ずチェイサーとして水をもらい、お酒と同じぐらいの量の水分を補給するようにしています。職場のテニスサークルにも所属して、思いきり運動して汗を流すこともあります。
また、私は旅行が趣味で、サムスカを開始したこの1年の間にも、友人や家族と一緒に北海道や日光、伊勢、奈良、熊本などに行き、あちこち歩き回ったり車でドライブしたりしています。まったく問題なく楽しんでいる私を見て、家族は「思ったより普通の生活だね」と口をそろえて言います。

Q 病気と向き合う生活の中で、心の支えとしているものはありますか?Q 病気と向き合う生活の中で、心の支えとしているものはありますか?

サムスカを服用する前、両親と薬剤師である姉は私が副作用に耐えられるのかを心配し、止めた方がよいという意見でした。それでも、病気と付き合っていくのは私自身です。治療効果がどうでるのか、そして治療開始後の生活がどうなるのか、確約された情報がない中でしたが、そんな時に主治医は私の選択に対してサポーティブで、常に向き合ってくれているという姿勢を感じることができたので、本当に心強かったです。つい先日、服用を開始して1年が経過したので腎容積の変化を検査したところ、主治医から数値が改善していると説明を受けました。とても嬉しかったですし、これからも治療を続けていこうと、より前向きな気持ちになれました。
また、会社の同僚だけでなく、親しい友人にもサムスカを服用していることは伝えてあり、皆、病気をごくありのままに受け入れてくれています。ADPKDという病気を知り、理解し、見守ってくれる人が周囲にいるということが何よりの支えとなっています。

Q 幼い頃に遺伝性の病気(ADPKD)を知ったことについて、どう感じていますか?Q 幼い頃に遺伝性の病気(ADPKD)を知ったことについて、どう感じていますか?

子どもの頃から自分の病気について知ることができたことは、本当に良かったと思っています。いままで自分の健康に疑いを持ったことのない人が、ある日、突然病気だと知らされた場合に、心身両面において大きなストレスとなり、ショックで立ち直れなくなることもあると思います。成人してある程度自分の暮らしのスタイルが確立された後であれば、病気のために生活や食事の習慣を変えることなどは、なかなか大変ではないでしょうか。私の場合は、幼い頃に病気を知ったことに不自由は感じていません。むしろ自分の体に起こっていることを早いうちから理解して、気持ちの準備ができたことは、この病気と生きていくうえでの大きな財産だと思っています。

記者の感想

早いうちから自身の病気を知ることは、冷静に体と向き合う目や自己管理の能力が育まれ、ADPKDと付き合って生きていく上での大きな糧となる――。精力的に仕事に取り組み私生活も大いに楽しむNさんから、そのことを教えられた気がしました。
ADPKDを受け入れ、家族や同僚、友人に囲まれて生活を送るNさんのADPKD患者さんへのメッセージなどを「わたしのADPKD体験談」でも紹介しています。ぜひご覧ください。

2016年9月作成
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